《0580》 ある若者の思い出(その5) [未分類]

横の部屋で死亡診断書を書く私に気を使うひとは皆無だ。
亡くなったあとも、全員の関心は彼の魂にしかない、と感じた。
私はしばらく、ご両親や友人と病気との闘いを振り返っていた。

この「振り返り」講話をしている自分を、お坊さんのように感じることがある。
この時も、なにか荘厳な気持ちで語り、みなさんと語り合った。
母親と何度も同じ話をしたが、父親は黙って悲しみに耐えていた。

こうして1時間以上が経過した。もう早朝に近い時間。
「群衆」たちは徐々に、三々五々、少しづつ減っていった。
当たり前だ。みんな明日の仕事や生活がある。

結局、家族と親しいひとたちだけの数人だけになった。
さっきまでの「混雑」が嘘のように、静かになった。
残った数人で、彼の体を上に向けた。

それは、自宅に帰ってからはじめての「仰向け」だった。

正確に言うと、病院入院時から何カぶりの「仰向け」だった。
若き死の原因となった「犯人」がそこに大きな顔を覗かしていた。
「馬鹿だなー、このがん野郎…」。思わず心の中でそうつぶやいた。

がんは、ご主人様の命を奪う。
患者の死は、がん自身の「死」も意味する。
がんが本当に賢いものなら、こんな「自殺行為」などしないのに・・・

がんという病気は、まったくもって力加減を知らない。
適当なところで手を緩めてくれたらいいが、そうもしない。

はじめて仰向けにできた位だから、着変えるのも初めてだ。
誰も見ることのなかった「犯人」を、みなで恨めしく眺めていた。
短いようで長かった、長いようで短かった1カ月の闘いを振り返った。

葬儀屋さんが到着した。
ここで、彼らにバトンタッチだ。
死までは私、死後は葬儀屋さん。

生と死のバトンを次のランナーに渡す、ほんの一瞬の接点。
医者と僧侶と葬儀屋は微妙な関係にある。
本当は、両者はもっと重なりあってもいいのだが・・・

最期の2日間を振り返りながら、ようやく帰路についた。
カーラジオの声は深夜放送から早朝放送に変わっている。
家が近づいたら、空がうっすり白ずんできた。

私の年の半分にも満たないその若者の人生を、想像していた。
「もっと生きたかっただろうな・・・」
私が辛いのだから、ご両親は想像を絶する悲しみだろうな。

若者は、ご自宅での最期を選択した。
正解だったと思う。見事な尊厳死だった。
いつも家族や友人と一緒にいたことには満足していたようだ。

わずか1カ月間に、延べ何百人以上もの人が彼を見舞った。
これは自宅ならではの凄い数字ではないのか。
家族や仲間の力の大きさをあらためて感じた。

そして、みんなで看取れた。
まだまだ若いけれど大往生だったなあ・・・
死亡診断は3度も空振りだったけど、いい予行演習になった。

そう思い出しながら、深い眠りについた。

(このシリーズ終わり)