《0592》 自宅以外での、在宅看取り [未分類]

ひとくちに「在宅」といっても、様々な「場」がある。
「自宅」が普通だが老人ホームや老人マンションも立派な在宅だ。
さらに認知症のグループホームや高専賃も、「自宅」なのだ。

一方、自宅のようで自宅でない場所で看取ることが時々ある。
兄弟の家や、子供の家に引き取って、看取る場合だ。
中には、友人の家で看取る場合もある。

また、様々な理由で自宅で死にたくないという人もいる。
たとえば夫婦仲が悪い場合。
愛人の家で亡くなってトラブルに巻き込まれそうなこともある。

先日はウイークリーマンションで看取った。
2カ月先までの家賃を本人が既に払っているが、
本人が亡くなれば、住む人間がいないので空になる。

配偶者がいても、その人のもとで死にたくないという人も。
子供がいても、会いたくないし死んでも連絡するなという人。
自宅があっても、自宅前の小規模多機能で死にたいという人。

自宅で死にたいが、ご家族がすぐにパニックになるので
少し離れた友人の家で亡くなった人もいた。
変な話のようだが、人生とはそのようなものかもしれない。

振り返れば、実に様々なリクエストにお付き合いしてきた。
一人一人のお顔と、最期の「場」が記憶に焼き付いている。
死に場所とは、そのひとの生き様の集大成でもある。

医師が書く死亡診断書には、死亡の場所のどこかに○を入れる。
1病院、2診療所、3老健、4助産所
5老人ホーム、6自宅、7その他、と書いてある。

病院の先生は1番にしか、○を入れた事がない。
私はこの16年間、6番に○を入れるのが日常。
時に自宅以外の場合は、7に○を入れる。

9割の医者は、一生、6に○を入れずに終わる。
今週は、子供さんの家(7番のその他)で、看取った。
先月は、ウイークリーマンション(7番)で看取った。

死生観も死ぬ場所も、実に多様化しているのだ。

PS)
一昨日は、医師会の地域医療連携の委員会の司会。
医療連携とは、最期の場所を探す作業でもある。

昨日は、来年3月4日の「かいご学会」の準備会。
これも、施設か在宅かがテーマとなる。

今日は、認知症患者さんの在宅と病院の連携の勉強会。
毎日、看取りと勉強会・講演が続きます。

今日から12月。寒くなりそうですね。
インフルエンザ予防接種は8割がた終了。
まだの方で接種希望者は、お早めに!