《0595》 看取りは祭り!? [未分類]

御自宅で看取るのが日常になってはや10余年。
様々な看取りを経験したが、まさに家それぞれ。
悲嘆の様子は、家によって、全く違う。

この仕事で一番思うことは、人間学のようなもの。
看取りを通じて、この世の本当の姿が見えてくる。
そのご家族の関係が我々に直接伝わってくる。

亡くなった時、亡くなりそうになった時の家族の反応。
泣く、泣かないではなく、死を受け止めるまでの反応。
家によって、ご家族の死に関する感性が全く異なる。

ものすごい勢いで悲しみを表現される家族もある。
「家族愛」の凄さに感動する毎日。
一方、冷静でかなり冷めた家族関係に驚くこともある。

多くの家族が、長く介護している場合は、
看取りの場が妙に明るい時が多い。
泣きながら、かすかに「笑って」いる。

この「微笑み」が、病院での看取りと全く異なる点。
病院では「悲しみ」のみで、「笑み」は皆無であった。
しかし自宅では安堵感、達成感、満足感が入り混じる。

どこか「宴会」のような感じになる時もある。
早朝に看取った時には、みんなで朝食を一緒に食べた。
みんなコーヒーを飲みながら、泣き笑い状態だった。

一番驚いていたのは、一緒に居合わせた他所の訪問看護師さん。
病院から訪問に転向して、はじめての在宅看取りだったらしい。
「こんな看取りが本当にあるんですね」と、妙に感心された。

死後の処置のために、家族や関係者がバタバタすることも多い。
どこかハイな雰囲気。
子供たちが不思議そうに見守っている。

そんな様子を観察していると、「看取りは祭り!?」かと
思う時がある。
不謹慎かもしれないが、本当のことだ。

年齢の要素が一番大きい。
高齢の老衰の方を大家族が見送る場合。
同居している方が多いと自然にそうなる。

一方、比較的若くても、闘病生活がある程度長いと
そうした雰囲気になることもある。
まあ、家族関係により、本当に様々。

看取りは日常。
しかし気分は、非日常。