《0597》 本人は満足、でも家族は不満足 [未分類]

希望通りに「お迎え」が来た。
本人は喜んでいるだろう。
なにせ希望が叶ったのだ。

しかし、本人に確かめる術がない。
そこで残ったご家族と話をしてみたら、
「不満足」ということがたまにある。

年金が途絶えてしまうからだったり、
お金がらみの損得勘定が働いていることが多い。
悲しいが、現代社会の現実だ。

御家族が「不老不死幻想」を持っている場合も困る。
亡くなった後に「入院したら亡くならなかったかも」
という後悔の念に駆られることもあるようだ。

これは、「悲嘆」(グリーフ)と呼ぶ。
そう、家族には「悲嘆」が残るのだ。
予め悲嘆を想定した対応をしておくのがプロの仕事。

在宅看取りが目指すものは、「満足死」だ。
しかし本人が満足しているか確かめようがない。
確かめられるのは、ご家族の満足度だけだ。

「満足」とは、「悲嘆」の裏返しでもある。
悲嘆の無い死なんて無いだろうが、できるだけ
小さなもの、前向きなものにする努力が必要だ。

「本人は満足、でも家族は不満足」では失敗なのだ。
そういう想いで、日々、在宅医療に取り組んでいる。
と言っても訪問看護師さんに頼りっぱなしなのだが。