《0603》 下顎呼吸(その1) [未分類]

「先生、余命はどれくらいですか?」
仕事で忙しいご家族から、よく迫られる。
「うーん、週単位ですかね」

「そんな。もっと正確な数字で言ってくださいよ」
「そんなこと言われても、僕の予測、よく外れますから・・・」
そう言って、誤魔化すことが多い。

自慢じゃないが、私の予命予想はよく外れる。
末期がんの患者さんは大体予想できるが、
非がんの患者の余命の予測は自信がない。

先日、何度も「今夜がヤマです」と言ってきた患者さんが
亡くなられた。
何度もそう言っているうちに、オオカミ少年になってしまった。

なにせ、最初にそれを言ったのが7年前なのだ。
それから、20回ぐらい同じことを言ってきた。
その都度、大真面目に本当にそう判断して言ってきたのだ。

しかし、ことごとくそれが全て外れてきた。
こうなると家族は全く信用してくれない。
私がそう言っても、半分笑って聞いている。

訪問看護の記録ファイルが古文書のようにぶ厚くなっている。
介護の記録も同じだ。
よくもまあ、これだけ生き延びてきたものだと一同感心する。

私も、不謹慎ながらどこか笑いながら説明している。
そんな中、ついに本当の最期の時が来た。
正真正銘の「下顎呼吸」が始まったのだ。

「先生、以前言われたように、本当に顎を振りだしました」
その電話で、「ついにその時が来た」、と私も確信した。
しかし何度も何度も予測が外れてきた実績が残っている。

「看取りの時に慌てない!」という説明は、100回もした。
そう自分に言い聞かせて、少し間を置いてから訪問した。
・・・・たしかに亡くなっていた。

看護師とヘルパーとご家族による「死に化粧」が終わっていた。
前日より、10歳以上も若返っていた!
初めて「綺麗!」だと思った。

私が死期の予測に自信があるのは、下顎呼吸が始まった時だ。
ここに至ればまず1~2時間で死に至る。
しかし、これまでその予測すら見事に外れたことが2回ある。

(つづく)

PS)
昨日で震災9カ月目。
被災地のことを想うと胸が痛む思いです。

陸前高田の奇跡の一本松を何とかできないものか、
昨日は、そんな議論を友人たちとしていました。

毎日が忘年会です。
2つハシゴする場合も。

医者の不養生。
自覚しながら、東京から始発で帰阪中です。