《0605》 下顎呼吸(その3) [未分類]

「3度目のご臨終」

下顎呼吸まで来たらあとは呼吸停止を待つだけ。
長い長い闘いも、ようやく終わろうとしている。
もはや意識も無くなり、白目をむいている。

呼吸の間隔が少しずつ長くなる。
間隔が、10秒、20秒、30秒と伸びてくる。
最後に、ため息のような微かな唸り声が聞こえた。

その後、1分ほど診ていたが、もう息はしない。
ご臨終だ。
ご家族を集めて、厳かに死亡を告げる。

「大変残念ですが、只今、ご臨終です」
そう言って、腕時計の時間を告げた。
ご家族のすすり泣きが聞こえてくる。

部屋を立ち去ろうとした時、子供が呟いた。
「まだ息をしているよ・・・」
慌てて振り返ると、大きな一息が確かに見えた。

「まだ最期の呼吸じゃなかった!・・・・」
と、後悔してももう遅い。
「本当はこれが最期の呼吸だったのだ!・・・」

家族は「先生、まだ生きているんですね?」と聞く。
しかし、うかつに返事はできない。
同じ間違いを2度繰り返す訳にはいかないのだ。

そうでなくても、家族の信用はもう半減している。
長年かかって築き上げた信用が、一瞬で揺らいだのだ。
じっと我慢して、3分ほど、黙って見守った。

もう大丈夫だろう。
あらめて、厳粛な声を振り絞り、同じ台詞を繰り返した。
「今後こそ、本当に、ご臨終です」

しかし、無情にも、またその5分後に、大きな息が出た!

「3度目の正直」という言葉が頭を駆け巡る。
もはや言い訳も訂正も、陳腐、いや滑稽だ。
家族は落ち着きを取り戻し、医師の方が焦っている・・・・

以上は、実は研修医時代に誰もが経験することなのだ。

人の生死に線を引くのは実に難しい。
呼吸停止しても細胞は生きている。
臓器もまだ人にあげれる。

在宅現場では、ご家族が呼吸停止を確認した時間を
死亡時刻として死亡診断書に記載している。
しかし、それも本当かどうか疑わしい。

以前にも書いたが、完全に呼吸停止したあとも30分以上
心臓が拍動する場合がある。
本来はそれをもっての死亡時刻だが、正確に知るのは困難。

いろんな失敗を何度もするうちに、知恵がつく。
ひとつは、呼吸停止して少し間を置いてから確認する。
また失敗談を予め話しておくことすらある。

看取りの説明の時には、それくらいの余裕が欲しい。

現在、呼吸停止から死亡宣告までの「あわいの時間」を
言葉が適当ではないが、「楽しめる」ような年代になった。
ご家族と本人の人生を回顧しながら少し時間を潰している。

「下顎呼吸」には、医者もいろんな苦い思い出が詰まっている。

(このシリーズ終わり)