《0608》 集まった子供たちに「死の教育」 [未分類]

危篤になると子供を呼び寄せるよう指示する。
出来る限り沢山の子供たちに集まってもらう。
3歳ぐらいから15歳くらいまでがその対象。

「死の講演」を聞くか聞かないかは指示しない。
子供たちの自由に任せている。
子供たちなりに、既に異様な雰囲気を察知している。

テレビゲームで遊んでいるようでも
耳は大人たちの会話に向いている。
子供は医師の一挙一動を見逃さない。

怖い(?)講演が終わると、子供たちに話しかける。
「おじいちゃんは、もう少ししか生きれないんだ」
「おじいちゃんが喜ぶのは、顔や体をなでてあげることだよ」

子供たちは、素直に従ってくれる。
孫たちにそうしてもらって嫌がる人は一人もいない。
絵になるので、写真を撮ることもある。

子供がいる最期の風景は、家庭だけ。
在宅医療ならではの、風景。
病院の最期とは全く違う。

子供たちは、一生忘れない。
死ぬ前のおじいちゃんの顔。
苦しそうな息づかい。

大人たちの涙。
二度と動かなくなったおじいちゃん。
慌ただしく入ってくる医師や看護師や葬儀屋。

死は、非日常。
学校では体験しない。
家で垣間見るしか機会はない。

子供たちに見せるのも、在宅医の仕事。
勤務医はそんなことは普通、考えない。
しかし在宅医は、わざと子供に見せる。

一度も死を見たことがないひとが多い。
「なにせ、はじめての経験なもので」
とみなさん言われる。

しかし「死」が、そうそうあるわけない。
あったら、おかしい。
「初体験」が普通、なのだ。

ならば、子供の時に早く体験しておくべきだ。
人間である限り一生「死」と付き合っていく。
在宅は、子供への「死の教育」の場でもある。