《0612》 最期は赤ちゃんに帰る [未分類]

先週、7年間在宅で看てきた患者さんを看取った。
認知症があったが90代後半なので年に不足はない。
ショートステイを活用しながら在宅療養を続けてきた。

娘さんが2人おられる。
1人の娘さんが介助していたが、ご家族が病気になった。
そこで、もう一人の娘さんの家に移っての介護が続いた。

この夏から、ワーワー声を出すことが多くなった。
それを抑えるきついお薬を飲ませることになった。
夜中じゅう、介護者が寝させてもらえないこともあった。

ショートステイをできるだけ使うようにした。
介護保険の枠の大半を、それに費やした。
ショートステイが無ければ、在宅療養は破綻していただろう。

そしてとうとう、食べなくなった。
医学的には、慢性心不全をおこしていた。
治療をしたが、悪化して行った。

入院か在宅継続か、また深夜の家族会議を行った。
家族は、在宅での自然な最期を選ばれた。
私自身も、その方には在宅が似合うと思った。

予想どうり、それから2週間ほどで亡くなった。
亡くなる1時間前まで娘さんと話をしていたらしい。
静かな静かな最期だった。

死亡診断書には、「老衰」と書いた。
もちろん、ご家族と相談のうえでの病名だ。
認知症や肺炎や心不全とはどうしても書けなかった。

死亡場所は、自宅でもないので「その他」に丸をする。
自宅とは、住民登録している場所のことだ。
それ以外の家なら、「その他」なのだ。

最期は、娘さんのことを「お母ちゃん」と呼んでいた。
お母ちゃんに、お母ちゃんと呼ばれた!
60年ぶりに、完全に立場が逆転した。

2~3年間、全介助で育てた子供に、
2~3年間、全介助で看取られた。
なんという因果なんだろう。

しかも、偶然にも2人の子供たちに
同じ程度の介護負担を分け合っていた。
不思議な巡り合わせだと思った。

長生きすると、最期はゆっくり赤ちゃんに帰る。
赤ちゃんで生まれて、赤ちゃんのようになって死んでいく。
私は、それを「老衰」と呼んでいる。