《0615》 犬も一緒に平穏死 [未分類]

慢性腎不全で透析導入を拒否していた患者さん。
最近このような患者さんが増えている。
2つのパターンがあるように。

透析は面倒なので、絶対に嫌という人。
いまいち、しないと死ぬことが分からず、漠然と拒否。
結局、最後には苦しくなって透析導入という人も多い。

一方、確信犯的に、延命治療を拒否する場合もある。
日本尊厳死協会の会員さんであったりする(嬉)。
この場合、強い意思でもって自分の最期を選ばれる。

後者のケースを、最近、経験した。
初回往診時には、慢性心不全の急性増悪も合併していた。
しかも黄疸もあり、いわゆる多臓器不全の状態である。

ご家族(大勢いる)は迷っておられた。
しかし話し合った結果、本人の意思を尊重することに。
しかし、大変苦しそうな呼吸をしていた。

酸素吸入、ステロイド点滴、モルヒネの座薬を行った。
延命治療は不要でも、苦痛の緩和は必ず行う。
平穏死、尊厳死は、必ず緩和医療とともにある。

緩和医療とは、末期がんとは限らない。
すべての終末期の患者さんに必要な医療。
心の痛みを看護師が傾聴で緩和すことも多い。

毎日往診した。看護師も毎日訪問した。
私は、朝、昼、晩、といろんな時間に。
もはや医者にできることは、誠意しか残っていなかった。

5日目の朝、一匹の犬が横たわっていた。
死んでいるのかと思ったが、小さな息をしていた。
聞くと犬も脳腫瘍の末期で危篤状態だと言う。

犬も人間も危篤状態。
ああ、人間を先に書くべきか。
どちらも意識が混濁している。

患者さんが可愛がっていた犬だそうだ。
偶然とはいえ、同時に逝きそうな予感だ。
実は、このようなことが、何度もあった。

翌朝、その患者さんは静かに旅立たれた。
亡くなる1時間前に、少し話をしたと言う。
たいてい最期まで何らかの意思表示ができる。

果たして危篤の犬は、なんとかまだ生きていた。
しかし、おそらく、その直後に逝ったのだろう。
まるで主に殉職するかような犬の最期でもあった。

人間は85年生きる。
しかし犬は15年しか生きない。
そして同時に死んでいく。

85年と15年。
そう考えると人間の方が幸せにも思えてくる。
自分自身も、既に犬の3~4倍も生きている。

その割には自分は漫然と生きている気がする。
ステイーブジョブズは「今日が人生の最後の日」
だと思いながら生きたという。

講演では偉そうに、そんなことを言う自分だが
ふと気がつけば、感謝を忘れていることが多い。
知らず知らずのうちに、怠惰な一日を送っている。

もう、その家に行くことはない。
その道を通ることもない。
正確には、グリーフケアであるのかもしれないが。

あっという間の一週間。
御家族と仲良くなったころには、終わっていた。
この時間は神様が決めたものだから仕方が無い。

あのワンちゃんともども、「想い出」となった。
見事な尊厳死を選らばれた一期一会の患者さん。
それを看取ることができた、関西支部長の私。

尊厳死を選ばれて正解だった!
家族全員もそう思っているだろう。
実に見事な最期だった。

PS)
素敵なクリスマスイブをお過ごしください。
私は、診察、よろず相談、往診、イベント打ち合わせで
いつもと同じです。

医療者は、こんな過ごし方に若い時から慣れています。
病院だったら、詰所に看護師さんがいて寂しくもない。
年末に病院から大放出される在宅患者さんのラッシュです。

今夜も往診などの対応で深夜までかかるでしょう。
年末年始は、大病院が長期間、休みになるので
在宅医は考えられない位、大忙しになるのです。