《0618》 死の先送り [未分類]

嫌なことは先送りしたい。
これは人間の本能だろう。
政治を見ていればよく分かる。

終末期医療も同じこと。
延命治療、在宅の是非、看取り問題。
嫌なことは、誰でも先送りしたい。

政治は先送りできるかもしれない。
しかし人間の命は先送りできない。
いつどこで命の火が絶えるのか分からない。

「タイミング」というものが、世の中にはある。
右へ行くか、左へ行くかの分かれ道が必ずある。
家族も悩むが、我々医療者とて、毎日悩んでいる。

答えの出ない問題に、とりあえず「決断」をしていく。
先送りできないので、「決断」するしか方法が無い。
家族が決断できない時は、医療者にお任せとなる。

パターナリズムが非難されるが、実際にはお任せが多い。
私は、「お任せ」が悪いことだとは思わない。
私自身の家族についても、実は、「お任せ」である。

問題は「お任せ」を決断した責任を自分自身が取ること。
後になって、恨んだり文句を言うのはフェアじゃない。
これが日本の医療を歪めている。

御家族によく聞かれる質問。
「先生の親だったら、どうしますか?」
大変いい質問だ。

家族が聞かない時は、自分から言い出すこともある。
完全なインフォームドコンセントなんてあり得ない。
どこかで「好き嫌い」や「信頼」というバイアスがかかる。

病院の医療では、とかく「死の先送り」をしたくなる。
亡くなってからでも、抗がん剤がポタポタ落ちている。
かつての自分もそうだった。

しかし、在宅医の現在、死の先送りはしない。
できるだけ、「死」に正面から対峙しようとする。
だから、在宅医療には、長い臨床経験が必要だ。

やってもやっても看取りの現場から教えられることは多い。
教科書にも雑誌にも載っていないことばかりが起こる毎日。
そんな現実っをブログという形でお伝えできることができて嬉しい。

PS)
今夜は、大阪の道頓堀で講演します。
今後の被災地支援に関するお話。
特にふるさと納税に関する話をします。

ふるさと納税とは、自分のふるさという意味ではありません。
地方税を納める自事体を自分で選べるという画期的な税制です。
何が画期的か。

所得控除では無く、税額控除である点です。
20万円の住民税を納めている方が、10万円被災地に
寄付した場合、確定申告時に納める住民税は10万円になります。

被災地の自治体に寄付したつもりが、実は故郷納税だった。
詳しいことは、私の個人ブログの方をご覧ください。
ふるさと納税の区切りはこの年末です。

善は急げ!
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師走の夜に、税理士のような話をする怪しい町医者です。
問題は膨大な数の夜診を上手く終えられるかどうかです。