《0620》 看取りは出産と似ている [未分類]

在宅看取りは、本当に大変なのか?
介護の負担が、大変じゃないのか?
毎日、あちこちから質問を受ける。

答えは、人によってまちまち。
在宅医療が絶対に嫌なひともいる。
そういう家族には在宅医療を勧めない。

なにがかんでも在宅医療、看取り、では全然ない。
様々な選択の中に、在宅医療がある。
その先に、在宅看取りがある。

在宅看取りは、ゴールにすぎない。
看取ったあとの家族は、爽やかな顔になる。
ひとつのことを成し遂げた達成感に溢れている。

この年末。
在宅で看取った患者さんのご家族が何人か挨拶に来られた。
私自身も、年末の挨拶をしながらご遺族の顔を見て回った。

みなさん、体重が増えて、血色が良くなっていた。
やはり、介護が相当な負担だったんだ。
と、改めて思い知らされた。

在宅と言っても、ほとんどがショートステイのひともいる。
家に泊るのは、月に、3~4泊程度。
それでも、在宅医療と呼ぶ。

在宅医療だが生活の主座がショートステイ施設の患者さんもいる。
実はショート中の急変時に訪問看護が入れないことに困っている。
現在、いろんなメデイアにその問題提起を行っているところだ。

以前にも書いたが、在宅看取りはどこか出産に似ている。
産み落とした、看取った、という充実感に溢れている。
在宅看取りは自然なことだと、素直に思う。

沢山のひとの最期を見させて頂いて、幸せだと思う。
その経験から得られる教訓は多い。
自分の人生にも大きな影響を受けていると感じる。

この年末も、多くの具合の悪い患者さんを回っている。
1年前も、元旦の朝から、看取りがあった。
人の生死には、年末年始も全く関係がない。

我々は、患者さんに合わせて動く仕事。
世間ではそれを「サービス業」と呼ぶ。
しかしなるべくなら、平穏な年末年始であって欲しい。

PS)
一昨日の夜は、大阪で講演をしていました。
明日は、あるグループホームで講演します。
施設での看取りを行うためです。

看取りの実際について、施設職員のみならず
認知症患者さんのご家族にも分かり易くお話しします。
具体的な話をしないと死は怖いものとして避けられます。

これから、警察の検視です。
知人の訃報も飛び込んできました。
患者さんの看取りも続きます。

毎日が「死」そのものです。