《0622》 多くの死に明け暮れた1年 [未分類]

今年は日本にとって大変な年でした。
3.11以来、日本が変わりました。
被災地は、現在も大変な状況ですね。

このブログでは3.11から、6カ月間、
180日連続で被災地のことを書いてきました。
まだまだ書きたかったのですが、敢えて一旦区切りました。

11月からは、「死」について書き続けてきました。
しつこくしつこく、これでもかこれでもかと言う位、
「死」について書いてきました。

年が明けても、もうしばらく、「死」について
書き続けようかと考えています。
「死」から「生」を考えるのが自分のテーマです。

親の年金のために、親の死を隠す家族がいました。
年金のために親の延命処置を希望するひとも多い。
死より、お金が優先する社会?

「死」が歪んできています。

歪みを容認できる豊かな社会だった、とも言えます。
敢えて過去形で書いてみましたが。
すなわち今後は容認できない社会になる予感がします。

今年は、震災で2万人ものの方が犠牲になりました。。
自分自身も50余名の患者さんの死に関わりました。
友人、知人の死も沢山ありました。

今も、「検視」から帰ったばかりです。

「死」について考えることは、悪いこととは思いません。
むしろ大切なことだと思っています。
50歳を超えてやっと自然に死の話ができるようになった。

自分のクリニックは、毎日が「闘い」です。
まさに野戦病院。
私のクリニックに最初に来たひとはみな驚きます。

元銀行の大きな箱ですが、立ち見状態です。
入れない時もあります。
諦めて帰るひともいます。

100人を超えるスタッフは深夜でも働いています。
まさに年中無休のクリニックです。
周囲のお店も全て24時間営業です。

お医者さんが10人位います。
外来も在宅も同じように行います。
多分、日本で唯一の変わったクリニック。

私の訪問や往診は、深夜まで及びます。
毎日、産業医や公務や会議に追われています。
1週間に5回上京した週もありました。

そんな状況の中にできるほんの隙間、
その10分程度の時間でこのブログを書いてきました。
だから誤字脱字、論旨不明な文章が沢山あるでしょう。

しかし読み返す間も無く次の文章を書かなくてはいけません。
そんな私の未熟な文章に、1年間、お付き合い頂いた皆様に
心から厚くお礼を申し上げます。

頂いた沢山のコメントは、とても勉強になりました。
まだまだ修行が足りないと反省することばかりです。
とりあえず365日間書き続けることができました。

4月末の気仙沼あたりがちょっとピンチでした。
被災地には電気やネットがありません。
かろうじてつながるモバイル装置でメールしました。

今日は、これから大掃除をします。
積り積もった資料を整理し、ゴミ屋敷と化した
自分の部屋を少しでもかたずけてから新年を迎えます。

震災の犠牲者、在宅で看取らせて頂いた患者さんの
ご冥福をお祈りして、今年最後の筆を置きます。
よいお年をお迎えください。