《0623》 「絆」とは思いやり [未分類]

謹んで新年のご挨拶を申し上げます。
旧年中は、大変お世話になりました。
本年もよろしくお願い申し上げます。

昨年は大変な年でした。
しかし今年も大変な年の予感がします。
何か大きな転換期に生きているとお感じの方が多いのでは。

3.11は、我々に大きな課題を与えました。
日本のみならず、世界は様々な課題に直面しています。
そんな難局の中から自然に生まれた言葉が、「絆」です。

最初は正直、ピンときませんでした。
しかし最近、「絆」という言葉がやけに身に沁みます。
「絆」とは「思いやり」のことだと私は解釈しています。

昨年、阪神間で復興支援イベントを3回開催しました。
一番印象的だったのは、大学生の被災地での活動です。
神戸大学や関西学院大学の学生さんたちのボランテイア活動。

彼らの活動は、実に戦略的で思いやりに溢れていました。
学生の活動とは思えない完成度を感じました。
しかし彼らは、まだ20歳前後。

さらに驚いたのは、神戸市舞子高校の高校生たち。
彼らもボランテイア活動に参加していました。
彼らの話を聞き、もはや自分の時代は終わったと感じた。

17年前の阪神大震災の記憶はほとんど無い、と言います。
ではなぜ阪神間の大学・高校生が、あのように目覚めたのか。
ここからは、私の勝手な想像です。

親や周囲から阪神大震災の話を相当聞かされて育ったのではないか。
そして阪神が受けた御恩を今回こそ返さねばという気持ちになった。
広い意味での「阪神大震災のDNA」を彼らに見た気がしました。

これが「絆」なのかな。
「絆」とは、世代を超えて受け継がれる「思いやり」。
そんな気がしました。

気仙沼で会った若者たちに偶然、東京で声をかけられました。
相馬市の市長さんを神戸市にお呼びして、お話を聞きました。
みんな涙して、募金しました。

震災は、あらたな「絆」というご縁も生み出しました。
もし震災が無ければ絶対に出あうことが無かった人たちと
出会って、一緒に飲んで、語って、涙を流しています。

4月末でも被災地には雪が舞っていました。
仮設住宅は特に寒いことを阪神の人たちは知っています。
震災復興には10年以上かかることも知っています。

目の前の病んだ人たちを思い、
遠くの被災者の御苦労も想う。
それは自分の中では同等です。

というわけで、今年も昨年同様、
死について、そして被災地支援について
書こうと考えています。

こんな町医者の日記が皆様の役に立つかどうか
いまもって全く自信も実感もありません。
しかし新聞社から断られるまで書き続けます。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。
ときに過激なことも書くでしょうが、
どうか気軽にコメントも書き込んでください。