《0626》 行き場の無い悲しみと私の怒り [未分類]

昨日は、気仙沼の面瀬中学の校庭に建っている仮設住宅の
入居者に集まって頂き血圧や生活習慣病の講演をしました。
講演後、10人くらいの方が個人的に相談に来られました。

全員の健康相談の根底に、深い「悲しみ」を感じました。
身内や知人を失った悲しみ。
また、命は大丈夫でも家や大切なモノを失った悲しみ。

たとえば趣味で2千個の盆栽を育てていたひと。
全て流されたなら、うつ状態になるのは当然です。
命は助かったけれど、大切なモノを失う事も辛い。

寝込んで外に出て来れないひとが多いことを知りました。
集い場に出て来れるひとは、まだ大丈夫かもしれません。
寝込んで出て来れず結局会えなかった方が一番心配です。

明らかに興奮状態の人もいました。
多弁で、話があちこちに飛ぶ。
交感神経の緊張状態が今も続いています。

300坪の敷地に建つ100坪の家に住んでいた人が、
わずか一部屋の仮設住宅で暮らしています。
彼らにとっては、「牢屋」のように感じることでしょう。

しかし、そんな贅沢は誰にも言えないし我慢するしかない。
このような慢性のストレスが一番怖いと感じました。
被災者とお話して、やはりそうかと思いました。

超元気そうな人が、ヘルペスに罹っていました。
血圧が180に上がっている人も何人かいました。
自覚症状が無いまま、体はストレスに蝕まれていました。

昨日、気仙沼港周辺の様子を書きましたね。
本吉地区、南三陸町も、何も無いので悲しくなりました。
津波で壊れた志津川病院が廃墟のように佇んでいました。

阪神の時は、瓦礫の撤去は想像よりずっと早かった。
今回見た宮城県沿岸は、逆に想像を絶する遅さでした。
撤去というより全壊建物の取り崩しすらまだなのです。

もちろん規模が全く違うので、比べるのが間違いですが。
悲しい思い出は早く撤去した方が精神衛生上絶対に良い。
PTDS対策とは、まず瓦礫の撤去からだと思いました。

さらに被災地における「格差」も気になりました。
僅か1mの標高差が運命を分けたのが津波の被害。
言葉が悪いかもしれませんが、天国と地獄です。

天国の人は、普通に暮らしておられます。
地獄の人は、仮設住宅で耐えておられます。
当たり前かもしれませんが、私は納得がいきません。

自営業の方の格差も深刻だと感じました。
例えば被災を免れたホテルは、連日連夜の満員御礼です。
しかし、被災したホテルは、再建の目途すら立ちません。

勝ち組は、復興特需によるバブル景気に潤い、
負け組は、ただひたすら耐えて待つしかない。
ごめんなさい、言葉が適当でなくて・・・

被災者たちは行き場の無い悲しみに耐えておられます。
でも我慢強い彼らは、怒ることをしません。
しかし私の中では、悲しみが強い怒りに変わりました。

小さな漁港に小さな船が何艘か浮かんでいるのが救いでした。
どんな小さな船にも日の丸の旗がちゃんと掲げられていました。
その日本国民全体で彼らをちゃんと支える必要を感じました。