《0064》 無医村を裏切った私 [未分類]

アフガニスタンでの中村哲医師を思い浮かべると、無医地区活動に
没頭していた自分自身の学生時代を思い出しました。
長野県下伊那郡浪合村(2006年、阿智村に編入合併)という
人口800人の無医村(当時)です。

夏、冬、春と年3回、合計1カ月以上滞在し、OBの医師や看護師たちに
混じって無医地区活動のお手伝いをするクラブで6年間を過ごしました。

検診をしたり、家庭訪問をして食塩の指導をしたり。
また、検便をして顕微鏡で「回虫」を見つけては、駆虫薬で駆除しました。
もちろん、寄生虫学の教授や公衆衛生学の教授の指導の下です。
よくまあ、学生の活動にあれだけ協力してくれる医者がいたものです。

今、考えれば、検診や食事指導は、予防医学や特定健診制度そのもの。
足の悪い独居老人の家庭訪問は、在宅医療そのもの、でした。
自分の医療人としてのルーツは、浪合村の無医地区活動にありました。

昼間は頑張りますが、夜は夜で寝泊まりしている公民館で毎晩、宴会でした。
「いい医療とは何か」について、先輩後輩と青い議論が夜明けまで続きました。
そして毎朝、村人から差し入れられる野菜を適当に食べながら生きていました。

あの村は、今、どうなっているのか?
あの時、医者がいないのに用意されていた診療所は、今でもあるのか?
無医村を裏切って、都会で安住している自分を、時々恥ずかしく思います。

しかし、中村哲医師のアドバイス通り、自分とご縁のある場で頑張るのが
一番だと思い直して、日々、診療しています。
一見、医療機関数に恵まれている都会の方が、実は、困っている人が
多いのでは?とも思います。
都会の中の医療砂漠を感じることも、時々あります。