《0682》 私の昔の給料 [未分類]

診療報酬改定の話を書くつもりが、つい年収の話ばかり
書いてしまいました。(笑)
うるう年ということで、もう1回だけ収入の話をします。

私の話は、今から25年位前の実話です。
しかし、実は現在もあまり変わっていないようです。
むしろこの四半世紀下がっているような気もします。

私の研修医時代の月給は、民間の病院でしたが、
1年目=20万円
2年目=30万円でした。

3年目に大学の医局に帰った時の月給は、「ゼロ」でした。
医局から、週に半日のアルバイトを斡旋されました。
1回3万円でした。

民間病院の土曜日の午前の診療を受け持ちました。
私の収入は、1カ月、12万円でしたが、
土曜日が休日だと、1カ月9万円でした。

当直のアルバイトを自分で見つけてきました。
それで何とか、食いつないでいました。
大学病院で働きましたが3年半、大学からは無給でした。

無給ならまだいいのですが研究生という身分を得るため
1年に10数万円程度の「学費?」を上納していました。
当時はこんないわゆる無給医局員が医局員の大半でした。

3年半たって、大学から給与をもらえる身分になりました。
「非常勤シニア」という身分でした。
そこで初めて15万円の月給をもらえる身分になりました。

嬉しかったです。
しかしそんな身分は、1年半で終わりました。
ある日、突然、市民病医院勤務を命じられました。

そこで頂いたお給与は、公務員規定どうりでした。
がむしゃらに働いても、働かなくても同じでした。
がむしゃらに4年働いての退職金は150万円でした。

無給医局員時代には、よく無給当直を命じられました。
ダニが出るタコ部屋で仮眠し、朝は6時から採血当番です。
受け持ち患者さんから言われた言葉が今も忘れられません。

「これだけ働くのだから、さぞかし高給取りなんでしょうね」
返す言葉が見つかりませんでした。
無給と言っても、絶対に信じてもらえなかったでしょう。

これ以上書くと大学の医者が結婚できなくなるので
この辺で止めておきます。
皆さんが興味があるであろう話題はここまでにします。

(つづく)