《0713》 病院では自然死できない理由 [未分類]

中村先生が書かれた「大往生したければ医療と関わるな」が

ベストセラーになっています。

サブタイトルは、「自然死のすすめ」です。

 

この本の内容は、私の医療観と全く同じです。

納棺体験の勧めも同じ。

一度でいいからお棺に入ってみてくださいね。

 

さて、病院では尊厳死、自然死、平穏死しにくいのが現実。

一方、在宅では、それらは普通、日常。

両者の差は、日本とアフリカの文化の差。

 

いや、以前に書いたかもしれませんが、

日本とアトランテイス大陸くらの差があります。

私の主張は病院の医師にはほとんど届きません。

 

正確には、届いた病院は、著しく成長していますが。

まあ、病院と在宅の差があるのは歴然たる事実です。

在宅医は、中村先生と同じ価値観で動いています。

 

では病院で、なぜそれができないか?

あまりに専門分化した多職種が多すぎるからでしょう。

人権、尊厳より延命至上主義になってしまいがちです。

 

組織になると責任の所在が曖昧になるのは病院も同じ。

誰も責任を取らないまま、延命治療は続きます。

亡くなっっても、人工呼吸器は動き、抗がん剤はポタポタ。

 

そこから逃れるには、「脱北」しか方法がありません。

病院とはそのような場所であると覚悟を持つべきです。

病院の職員もオカシイと思いながら誰も止められない。

 

病院は、役所と同じ。

縦割りの大きな組織。

開業医はラーメン屋さんと同じ個人商店。

 

私もかつては病院勤務医でした。

咽頭がんで点滴さえ拒否された患者さんがおられました。

1本の点滴もないまま、飲まず食わずの日が続きました。

 

2ケ月以上、生きて、静かに穏やかに逝かれました。

医師になって11年目で初めて経験した自然死でした。

その患者さんが、私の現在の在宅ホスピス活動の原点。

 

末期がんは、苦しくない。

最期まで、食べて動いている。(咽頭がんは例外ですが)

そんな講演をあちこちでしています。

 

在宅では普通である尊厳死が、病院ではほとんど無い。

組織ですから、ビビってしまうのです。

訴えられたり逮捕されると組織は大きなダメージを受けます。

 

だから「尊厳死の法制化」が必要だと思います。

健やかに生き、穏やかに逝く権利は、

病院で最期を迎える患者さんのためのもの。

 

在宅では当たり前だから、そんなものは要らないかも。

しかし病院死が8~9割の日本だから、やはり法律が

無ければ、患者さんの人権が護られなくなっているのです。

 

「死」は、常に他人事です。

自分自身に迫って初めて、「死」の意味を考えるのが人の常。

多くの医療者を看取っていますが、医療者とて全く自覚無し。

 

理屈はともかく、中村医師が書かれたように

一度でいいですから納棺体験をしてください。

それをしてから再度考えて欲しいと思います。