中村先生が書かれた「大往生したければ医療と関わるな」が
ベストセラーになっています。
サブタイトルは、「自然死のすすめ」です。
この本の内容は、私の医療観と全く同じです。
納棺体験の勧めも同じ。
一度でいいからお棺に入ってみてくださいね。
さて、病院では尊厳死、自然死、平穏死しにくいのが現実。
一方、在宅では、それらは普通、日常。
両者の差は、日本とアフリカの文化の差。
いや、以前に書いたかもしれませんが、
日本とアトランテイス大陸くらの差があります。
私の主張は病院の医師にはほとんど届きません。
正確には、届いた病院は、著しく成長していますが。
まあ、病院と在宅の差があるのは歴然たる事実です。
在宅医は、中村先生と同じ価値観で動いています。
では病院で、なぜそれができないか?
あまりに専門分化した多職種が多すぎるからでしょう。
人権、尊厳より延命至上主義になってしまいがちです。
組織になると責任の所在が曖昧になるのは病院も同じ。
誰も責任を取らないまま、延命治療は続きます。
亡くなっっても、人工呼吸器は動き、抗がん剤はポタポタ。
そこから逃れるには、「脱北」しか方法がありません。
病院とはそのような場所であると覚悟を持つべきです。
病院の職員もオカシイと思いながら誰も止められない。
病院は、役所と同じ。
縦割りの大きな組織。
開業医はラーメン屋さんと同じ個人商店。
私もかつては病院勤務医でした。
咽頭がんで点滴さえ拒否された患者さんがおられました。
1本の点滴もないまま、飲まず食わずの日が続きました。
2ケ月以上、生きて、静かに穏やかに逝かれました。
医師になって11年目で初めて経験した自然死でした。
その患者さんが、私の現在の在宅ホスピス活動の原点。
末期がんは、苦しくない。
最期まで、食べて動いている。(咽頭がんは例外ですが)
そんな講演をあちこちでしています。
在宅では普通である尊厳死が、病院ではほとんど無い。
組織ですから、ビビってしまうのです。
訴えられたり逮捕されると組織は大きなダメージを受けます。
だから「尊厳死の法制化」が必要だと思います。
健やかに生き、穏やかに逝く権利は、
病院で最期を迎える患者さんのためのもの。
在宅では当たり前だから、そんなものは要らないかも。
しかし病院死が8~9割の日本だから、やはり法律が
無ければ、患者さんの人権が護られなくなっているのです。
「死」は、常に他人事です。
自分自身に迫って初めて、「死」の意味を考えるのが人の常。
多くの医療者を看取っていますが、医療者とて全く自覚無し。
理屈はともかく、中村医師が書かれたように
一度でいいですから納棺体験をしてください。
それをしてから再度考えて欲しいと思います。