《0716》 私が尊厳死にこだわる理由 [未分類]

毎日、尊厳死やら死についてばかり書いてスミマセン。

でももう少し、いや、気が済むまで書かせてください。

今日は私が何故、ここまで尊厳死にこだわる理由です。

 

私のクリニックがある阪神間には大きな有名病院が

いくつもあります。

ときどき、在宅患者さんをご紹介頂きます。

 

事前に病棟に患者さんを見に行く時があります。

それを「退院調整」といい、病院のスタッフと顔を

合わせると、「退院時カンファレンス」と言います。

 

さて、問題は、病棟を歩く時です。

廊下から左右の病室の様子が見えます。

いろんな管に繋がれて虚ろな目の患者さんが見える。

 

この光景は、30年前も今も同じです。

いくら医療が進歩したとはいえ、あの虚ろな目は同じ。

延命治療は、何も変わっていないのです。

 

訪ねる患者さんと別の患者さんの名前を偶然見つけることも。

元気だったその患者さんが弱っていることは仕方ありません。

しかしあれほど嫌がっていた「管」を一杯つけられている・・・

 

「スパゲッテイ症候群」

 

これは、今も昔も変わっていません。

変わっていない現実に、ただただ、唖然とするだけです。

その方の尊厳が奪われている気がしてならないのです。

 

治療という名の下の人権侵害。

本当は、人権なんて言葉を使いたくもありません。

しかし、他にどんな言葉があるのでしょうか?

 

医療の進歩は本当に患者さんを幸せにしたのか?

この問いに対する答えは、すでに中村仁一先生の

御著書がベストセラーになった事実に出ています。

 

しかし在宅での平穏死が、病院医療へのアンチテーゼに

なっているようでは、そもそも、いけないのです。

病院でも在宅でも、人権は護られるべきなのです。

 

医療界も法曹界も教育界も、そして市民も

「死」を正面から見ずに、ここまで来ました。

そのつけが、一気に来ているように感じます。

 

現時点では、在宅医療だけが、人権のルネッサンス。

悲しいことです。

それは、私の本意ではありません。

 

場を問わず、自分が希望しない最期は拒否できる権利を、

人間は元来有しているものだと信じています。

これが私が、尊厳死にこだわる理由です。