《0718》 本当は尊厳死ではなく「尊厳生」 [未分類]

日本人は、「死」という言葉を忌み嫌いがちです。

今日は「尊厳死」という言葉を考えてみましょう。

「死」に尊厳があるのか無いのかよく分かりません。

 

「死」は「死」でしかない。

それ以上でも、それ以下でもない。

尊厳が問われるには、「生」のほうだと思います。

 

尊厳のある「生」と尊厳が損なわれた「生」がある。

私自身はそう考えています。

ですから「尊厳生」という言葉の方が腑に落ちます。

 

生きるとは楽しむこと。

移動して楽しむことが「尊厳」ではないでしょうか。

それが叶わぬ場合「尊厳」が損なわれていると言う。

 

「活き活き生」

「楽しんで生きる」

「エンジョイライフ」

 

皆様がご指摘されるように、

問題は「生」のほうにあると思います。

「生活」の質や満足度を考えることが大切です。

 

「尊厳死」から「尊厳生」へ

 

これは、私が一昨年、日本尊厳死協会の

機関紙に寄稿した小文のタイトルです。

その想いは今も全く変わりません。

 

ちょっとした言葉の違いでイメージが大きく変わります。

私は、「生」をもっと強調したいと思います。

「尊厳生」という前向きな議論のつもりです。

 

PS)

春の嵐の翌日の外来は予想通りの大混乱でした。

余波は、夜まで続きました。

年度末作業かつ診療報酬改定作業で大忙しです。

 

患者さんは、大混雑する受付に文句を言われます。

「なんでこんなに待たせるんだ!」と。

実は、前日は、超ガラガラでした。

 

要は、雨の日は受診の大チャンスなのです。

待ち時間がとても少ない。

悪天候の日の診療所は間違いなく「穴場」です。