《0769》 撤退の時の判断 [未分類]

訪問入浴で患者さんはサッパリしたいい顔になりました。

「いくら末期がんでも見た目が大切だね」なんて冗談を

言って笑顔を見せるくらいの元気は残っていました。

 

しかし体はさすがに、どんどん痩せていきます。

頬もこけて、見るからに末期がんの顔つきです。

この状態を「がん性悪液質」といいます。

 

「研修医君、なぜこんなに痩せるのか分かるかい?」

 

「やはり食べないからでしょうか?」

 

「そうだね。食べないのではなく、食べられないのだけど。

 でも、それだけでここまで痩せるものだろうかね?」

 

「脂肪が減るんですよね。あっ、筋肉もでしょうか?」

 

「脂肪も筋肉も減るんだ。おそらく全身に散らばった

がん細胞から毒素が出ている影響もあると思うよ」

 

分かったような分からないような説明をしながら、

余命いくばくもない患者さんのお顔を眺めていました。

研修医君が、切り出してきました。

 

「いつまで、点滴をするんですか?」

 

そうそう、訪問看護師さんに頼んでステロイドを入れた

200mlの点滴を続けてきたことを思い出しました。

 

「長尾先生、もう撤退してもいいんじゃないですか?」

 

研修医君が、逆に質問してきました。

 

「日本老年病学会から終末期のガイドラインが出ていましたよ。

終末期の栄養補給には撤退という選択肢もあると書いてました」

 

研修医君は、よく新聞を読んでいました。

たしか、朝日新聞の一面に大きく書いてあった記憶があります。

 

「でも、あれは高齢者であって、末期がんではないはずでは?」

 

「長尾先生、同じことじゃないですか。

終末期ということでは」

 

いい感性をしている研修医です。

確かにそのとおりです。

傍らで聞いていた訪問看護師も加わってきました。

 

「長尾先生、もう針を刺す血管がありません・・・」

 

ご家族に聞いてみました。

点滴を撤退してもいいか。

静かに頷かれました。

 

これで1ケ月間、続けてきた「なぐさめの点滴」も

中止することに決まりました。

あとは静かに最期の時を待つだけです。

 

しかし、そんな甘いものではありませんでした。

(続く)