始発の新幹線で帰阪して午前9時に患者宅に到着しました。
研修医君も訪問看護師さんも、みなさんが揃っていました。
彼らは朝一番で、私より一足早く、到着したようです。
私は既に布がかけられた患者さんと対面しました。
呼吸停止との連絡からもう7時間も経過しています。
いまさら死亡診断する必要はありません。
とても穏やかなお顔をされていました。
最期まで住み慣れた自宅で過ごされ、緩和医療の
力を借りての、立派な「尊厳死」でした。
聴診器を持ってはいますが当てる必要もありません。
「呼吸が止まったのは何時頃でしたか?」
分かっているのですが、穏やかな口調で聞いてみました。
「ちょうど午前2時ころです」
あれだけ絶叫していたご家族も静かになっています。
10数人いたであろうのに、数人に減っています。
訪問看護師さんは死に化粧をしています。
葬儀屋さんは、祭壇の準備をしています。
私は死亡診断書を書くため、台所のテーブルを借りました。
診断書を書いていると、娘さんがコーヒーを入れてくれました。
コーヒーより、それを入れる位、落ち着きを取り戻したことに
ちょっと安心しました。
どれだけ詳しくお話ししていてもご家族は混乱します。
旅立ちの悲嘆と、それを当事者として受け止めること
へのプレッシャーがパニックを起こすことがあります。
「長尾先生、結局、7時間もかかりましたね。
これで本当に問題は無いのですか?
それと死亡時刻は、本当に午前2時でいいんですか?」
研修医君は、疑い深い顔で聞いてきました。
「大丈夫だ。医師法20条があるからね」
「医師法20条?」
「大学で習わなかった?」
「ちょっと記憶にないんですが・・・・」
(つづく)