《0788》 バルト海で吐血。そして散骨 [未分類]

最近の飛行機は動き出すのがやたら早い。
出発時刻5分前にもう動き出している国内線。
国際線ともなると20分前にはゲートが閉まった。

そしてなんと10分前には、機体が動き出した・・

前夜は講演会の座長と、その後、
遅くまで旧友たちと昔話に話が咲いた。
深夜2時の帰宅。

それから朝まで原稿を3本、書き上げた。
寝ながら書いた原稿を、急いで送信。
締め切りが過ぎた原稿ばかりだった。

早朝の関西国際空港に到着。
人ごみに酔いそうになる。
両替コーナーにも行列だ。

普段は、弱ったひとの間で働いている。
こんなに元気なエネルギーは久しぶり。
まして二日酔いの徹夜明けだ。

待合室で最後の原稿をメールした。
ギリギリ原稿が全部間に合って良かった。
その1分後に機内に飛び乗った。

数年ぶりの国際線は、何もかもが新鮮に見える。
徹夜明けで二日酔いの機内は昼か夜か分からない。
朝からワインを3杯も飲んだ。

備え付けの音楽ビデオを見ていた。
「アデル」という初めて見る歌手。
素晴らしいライブステージのDVD。

アンコールでは、観客もアデルも泣いていた。
私も泣いてしまった。
朝から赤い顔をして泣いているオヤジは気持ち悪い。

「沈まない夕陽」

東へ向かう12時間、、太陽はまったく動かない。
窓の外は、ずっと昼間のまま。
もう24時間以上、昼間のまま。実に変な気分だ。

10時間後、画面に「バルト海」という文字があった。
これは10年前、看取った在宅患者さんが亡くなる前に
ご夫婦で想い出旅行の途中から電話してきた場所だ。

こんなところに、旅行していたんだ・・・

「長尾先生、今、バルト海の上にいるんですが、吐血しました!」
「大丈夫、大丈夫、船の中で寝ていれば大丈夫。
また吐いたら電話しておいで」

果たして患者さんは、無事帰国された。
その1カ月後に静かに旅立たれた。
その1年後、妻は遺言どおり遺骨をバルト海に散骨した。

今、僕は彼の年齢を遥かに超えて、生きている。
海の上から、彼を想い、祈りを捧げた。
僕のことまだ覚えているかな?

今日の僕は医者では無い。
朝から、何も医者の仕事をしていない。
機内からも、全くお呼びもかからない。

ルランクフルトで2時間待って、ジュネーブへ。
ジュネーブで2時間待ちチューリッヒへ着いた。
尼崎からちょうど24時間もかかってしまった。

尼崎をコマネズミのように走り回っている人間が
今、ヨーロッパを徘徊しようとしている。
残して来た患者さんとスタッフには本当に申し訳ない。

今、チューリッヒは午後11時。
日本時間は、午前6時。
ここで一旦、今日を終わらせて頂く。

「死の権利・世界大会」は、明朝から始まる。
これから数日、尼崎の町医者がチューリッヒの
世界大会で見たこと聞いたことを実況中継したい。

普段アピタルには、穏やかな記事を書いているつもり。
しかし、これからここで見聞きすることはできるだけ
生の素材のまま、淡々とお伝えしようかと思う。

過激部分は編集部にカットされるかもしれない。
上手く原稿を送れるか、ちょっと不安もあるが。
しばらくは個人ブログにも同じ原稿を掲載したい。