《0079》 人生いろいろ、認知症もいろいろ [未分類]

「人生いろいろ」ではないですが、ひとくちに「認知症」といっても
実に個性豊かだと感じます。

満面の笑みが絶えない「癒やし系認知症」、
同じ言葉を繰り返す「多弁系認知症」、
いろんな物語が飛び出す「語り部系認知症」、
ウロウロが絶えない「徘徊系認知症」……。

100人の認知症患者さんがいれば、病像は全部違います。
もちろん同じ患者さんでも病期によって全く違ってきます。
まさに「認知症いろいろ」です。
「認知症って何だろう?」と、時々思います。

私自身は認知症ではないと思っています(病識がないだけか?)が、
実は認知症患者さんと、さほどの違いはないのでは?とも。

もしかしたら、人は大なり小なり認知症を持ちながら生きているのでは?
80歳を超えたら、認知症がむしろ当たり前ではないのか?
若年性認知症だけが、本当の「病気」としての認知症なのでは?

わずかな認知症症状が気になって仕方がないご家族がいます。
何度も認知症の検査を要求されます。
言っている家族の方が、どうやら認知症であるといったこともあります。
認知症が進行していても、全く気にしないご家族もいます。
「年だからこんなもんでしょう」で、済ましています。

一方、病院に行けば、すぐに認知症ないし予備軍のレッテルが張られます。
昼間はおとなしいのですが、一晩中、民謡を歌い続ける認知症老人がいます。
「睡眠薬を出しましょうか?」と訊くと、介護者にひどく怒られました。
「おばあちゃんが、せっかく歌ってくれているのに、なんてひどいことを言う医者か」と。

介護者は離れた部屋で寝ているから、ほとんど気にならないそうです。
「遠くから聞こえるおばあちゃんの歌声が子守唄代わりになる」、
「おばあちゃんが生きている証だ」と言われれば、返す言葉はありません。

徘徊が激しい認知症老人を、敷地の出入り口にだけしっかり鍵をかけて、
広い自宅や庭や職場で一日中、自由に遊ばせている家族もあります。
私は、勝手に「放牧系介護」と呼んでいます。

認知症の周辺症状(BPSD)も、介護者の受け取り方は実に様々です。
受け取り方で、医療者やケアマネの対応は大きく変わってきます。
すべて介護者との「相談」で決まります。
「認知症」いろいろ、「認知症介護」いろいろ。
認知症に、「絶対こうあるべき」という価値観はないと思います。