チューリッヒでの世界会議が終わり、少し寄り道をしてみた。
イタリア中央部のトスカーナ州、フィレンツエ県、フィレンツエ市。
有名なフィレンツェに立ち寄り、今回、初めての観光をした。
今日ばかりは少し旅行話で息抜きさせていただく。
長文になるが、気の向くままに書き綴ってみたい。
お時間のある方、イタリアに興味のあるあなたへ。
● 54人の素手ボクシングが、サッカーの発祥?
フィレンツェがどこにあるのか?どんな所なのか?
予備知識ゼロのオッサンがイタリアの古都を散策する。
まずホテルに着くと前で長い武者パレードが始まった!
中世の騎士の格好をした沢山の男性チームが続々とパレード。
みんな映画に出てきそうな凄い戦闘服を着ている。
旗を振り回して宙高く放り投げて受け取る集団も。
来月末に行く相馬野馬追いを思い出した。
昔からの武闘訓練そのものが、祭りとなっている。
さてパレードの行き先は市の中心の広場に設けられた競技場。
サッカーコートより一回り小さい競技場に27人のマッチョ達
のチーム合計54人が集合し、格闘技が始まった。凄い歓声だ。
格闘技とは、素手での殴り合いと寝技。要するにサシの喧嘩だ。
27人同志が、舞台のあちこちで素手で殴り合いをしていた。
マイクタイソンのような大男があちこちで殴り合いの決闘。
時々、小さなボールを投げたりする。
彼らはこの日のためにトレーニングを積んだスター選手たち。
筋肉、裸、スキンヘッド、刺青、マウスピースで形容しよう。
追っかけファンと、テレビ中継、そして異様な歓声。
超満員のスタジオは、97%がマッチョな男性で多くは裸。
もう夕方とはいえ、暑い暑い。
38度もある。ちなみに昨年は、44度だったそうだ。
フィレンツエ地区の4つのチームが優勝を争う。
先週が一つ目の試合で、今週が二つ目の試合だ。
来週、先週と今日の勝者同志が「決闘」すると。
凄い歓声だ。巨人対阪神戦を遥かに凌ぐ。
広いスタジオで座っている人は皆無だ。
観客は総立ちで地元チームを応援する。
こんな格闘技は見たことが無い。
負傷した格闘者が担架で運び出される。
死者が出るだろう。
これが中世からのサッカーの発祥とは信じられない。
ちなみに日本人には一人も合わなかった。
聞きまくりチケットを入手しての観戦だ。
● 中田選手、マドンナ、レディーガガ
サッカーといえば、中田選手が最後にプレーしたのが
フィレンツエの街だった。
彼は、ここの市民に今でも愛されていた。
前日は、歌手のマドンナが中田選手がかつてプレーした
サッカースタジアムでコンサートを行った。
今日は、美術館を見学するなどフィレンツエを堪能した。
マドンナもイタリア人なら、レディーガガもイタリア人。
デカプリオも、ロバート・デ二―ロも、ジョントラボルタも。
考えてみれば、有名なイタリア人が一杯いる。
深夜でも街中のスポーツバーは満員。
どこもかしこもサッカー中継で大騒ぎ。
阪神タイガースファンの10倍は騒がしい。
この闘争心は、フィレンツェ2000年の歴史そのもの。
日本人には、到底想像すらできない熱い血が、流れている。
こんな土地のプロサッカーで闘った日本人は偉大だ。
● ミケランジェロとレオナルド・ダビンチ
市内の広場には、ミケランジェロの彫刻複製がある。
ダビデの像はあまりにも有名だが本物は美術館にある。
昼間もいいが夜のライトアップも荘厳で表現できない。
ミケランジェロは彫刻家として多すぎる業績を残して世を去った。
一方レオナルド・ダビンチは芸術の他、数学など科学者でもあった。
レオナルド・ダビンチは、ミケランジェロより23歳年上だった
ダビンチは、年下のミケランジェロには結構辛口だったようだ。
空海と最澄を思いだしたが、時代はそうも大きく変わらない。
ミケランジェロは、89歳と当時にしては、結構長生きした。
ミケランジェロやガリレオが眠る教会が、そこある。
フィレンツェという街は、山に囲まれた盆地にある。
京都と姉妹都市である理由が、ここに来れば分かる。
川の南の小高い丘に登れば、フィレンツェの街を一望できる。
歩こうと思えば全て自分の足で歩けるくらい小さく美しい街だ。
ただし一つ一つの建物はあまりにも偉大で荘厳で気が遠くなる。
有名な芸術家の足跡がいたるところにある。
こんな狭い街に集中している街は知らない。
私が見たヨーロッパの中で一番密度が濃い。
● ルネッサンスまでに1000年
フィレンンツェを歩くと裸の彫刻が多い。
中世の石の建築物はシンプルで無駄が無い。
そう、ルネッサンスとはフィレンツェが発祥の地。
それまでキリスト教の戒律に1000年間縛られてきた。
厳しい教義に縛られた文化からありのままの姿を見る文化に。
そう、ルネッサンスは、よく「人間復興」と言われる。
「神」が中心の世の中から、「人間」が中心の世の中への転換。
「神」を「医療者」に、「人間」を「患者」に置き換えてみた。
私にとって「ルネッサンス」とは今回の学会旅行かもしれない。
パリのベルサイユ宮殿は、ただただ豪華で綺麗。
ロンドンのバッキンガム宮殿は、宝物が多い。
一方、フィレンツェの市庁舎と川向うの別宮殿は、質実剛健だ。
市庁舎、元々はメデチ家の御屋敷だった。
その後、ここで国会が開かれたこともある。
現在はフィレンツェ市議会が開かれている。
裏にあるウッフッツィ美術館と別宮殿はつながっている。
アルノ川にかかる、かの有名なベッキオ橋の上から
川南にある別宮殿まで、実は長い長い渡り廊下がある。
そこを歩くには、10万円かかるそうだが、
前日、歌手のマドンナは歩いて川南の宮殿まで渡った。
ベッキオ橋を渡ったところの教会には渡り廊下の休憩所がある。
現在、フィレンツェに住む日本人は2000人。
訪れる観光客は日本人より中国人が遥かに多い。
しかし、日本語メニューを置く店が結構あった。
● メデイチ家と芸術家・科学者たち
メデチ家の家紋は、6つのお薬を並べたものだ。
商業の中でもメデイシン(お薬)と関係が深かった。
医師ならば、どこか親近感を覚える家紋ではないか。
13~18世紀に栄華を誇ったメデチ家は、今はもうない。
政略結婚を繰り返した結果、子供が生まれなくなり衰退した。
オランダのハプスブルグ家に引き継がれることになった。
メデチ家最後の家主は女性だったが、子供を残さなかった。
宮殿は市庁舎(後に国会)にその隣の官庁は美術館に転用した。
美術品をフィレンツェ外に持ち出さないことを条件に市に寄付。
ウフィツィ美術館の「ウフィツィ」とは英語の「オフィス」。
日本で言う霞が関という「オフィス」が、美術館に転用されたのだ。
永田町と霞が関、そして皇居が近接しているのとどこか似ている。
メデチ家があったからミケランジェロやタビンチが活躍できた。
フィレンツェから16世紀ルネサンスが生まれ世界が解放された。
もっとも、「解放」まで1000年もかかったのだが・・・
川沿いに、ガリレオ・ガリレイ博物館がある。
彼が天動説を唱えた時は大変だっただろう。
メデチ家がガリレオも保護して今がある。
● イタリアの政治家たち
フィレンツェ市の市長さんは現在37歳ととてもお若い。
二世政治家で35歳で市長になったがなかなかの改革派。
城壁内は世界遺産でもあり昨年から車両通行禁止にした。
イタリアはギリシャに並んで、経済危機だと言われる。
消費税は現在21%だが、10月から23%に上がる。
政治家の腐敗が激しいからだと、住人達は言った。
EUに加盟して、イタリアの物価は2倍にはね上がった。
イタリア人の平均所得は、13~18万円程度だという。
そこに消費税23%なので、中々外食は出来ないそうだ。
未だにリラに戻して欲しい、EUから離脱して欲しいと
希望する声がいまだに市民の中にはたくさんあるようだ。
たしかにチューリッヒと比べたら人々の雰囲気は全く違う。
イタリアとう国の歴史は150年と、まだまだ浅い。
共和制だから愛国心というより郷土愛が強いという。
現在、20の州に分かれている。
日本より、方言が強いそうだ。
州が違うと若者でも言葉が通じにくいという。
日本よりも難しい問題をいくつも抱えている。
学者肌の総理に変わったそうだが、あまりいい評判では無い。
イタリアの政治家は飛行機や船を持っている金持ちだそうだ。
みんなそんな政治家を悪く言うがどの国も同じだなと思った。
中世の政治は今から見れば、弱肉強食で無茶苦茶だった。
しかしその結果、天才や素晴らしい世界遺産が生まれて、
芸術が発展し、世界に影響を与え、私は今観光している。
● フィレンツェから日本を想う
日本の室町時代に、フィレンツェではルネッサンスが始まった。
その時代、彼らは日本という国の存在をほとんど知らなかった。
市庁舎の中の地図の部屋にある日本の地図は、無茶苦茶だった。
シニョリーア広場の屋外彫刻が、京都の東寺の立体曼陀羅に見えた
ミケランジェロと空海が、私にはダブって見えたが錯覚だったのか。
室町時代の、西洋と東洋のシンクロニシティーを感じた。
最後にイタリアの医療事情を少しお話しておこう。
イタリアの健康保険で受診するには3~6カ月待ちだ。
歯が痛い時には、高い自費を払えばすぐに診てはくれる。
9カ月待ちで婦人科の手術をしたという女性と話した。
待ちに待ったが医療費、手術費は確かに無料だったと。
イタリアでも胃ろうの中止が話題になっていると聞いた。
長寿に伴う諸問題は世界共通であることが理解できた。
今回の海外出張で世界各国の終末期事情を肌で知れた。
つたない経験だが、少しでも今後の活動に活かしたい。
世界の尊厳死運動とは、人権運動。
まさに人間復興、ルネッサンスそのものだと確信した。
しかし、フィレンツェでも1000年もかかったのだ。
いくら時間がかかっても、医療のルネッサンスも必要だ。
ミケランジェロのように黙々と彫刻を彫り続けるのみだ。
思い上がりだろうがフィレンツェにいると、そう確信した。