《0800》 Death か Suicide か? [未分類]

今日は理屈っぽい話になります。

スイスでの会合で疑問に思ったことを、帰国後

松尾さんとメールで意見交換しています。

 

外国に行くと良く分からないことだらけです。

おそらく、宗教観の違いによるものでしょう。

外国生活が長い松尾さんに教えて頂いています。

 

たとえば今回、「Physician's assisted suicide」という言葉が

何度も繰り返し出てきました。

直訳すると「医師が幇助する自殺」。

 

なぜ、わざわざ、suicide(自殺) と言うのでしょうか?

「Physician's assisted death(PAD)」なら知っていますが。

しかし何度も何度も、suicide という言葉が出てきました。

 

Suicideは、宗教的にはタブーの言葉だと思うのです。

私は、単にDeathでいいような気がするのですが・・・。

以下は松尾さんとの議論の内容です。

 

現代にはありませんが、自殺が、場合によっては 「名誉」 という

人間の徳目の一つとして、それを維持することを容認し、美化した

歴史が日本にはあったように思います。

 

「名誉」といえば、West Pointに行きますと、MacArthur  や Eisenhowerの

銅像の傍に 「Honor Duty and Country」という言葉が刻印されています。

これがWest Pointの精神的支柱になっています。

 

「名誉」は国の如何に拘わらず徳目の一つです。

では、 なぜSuicideと、敢えて言うのか? 

松尾さんも、私と同じく、Deathでよいのではないかと思われたそうです。

 

2000年間Christianityの「Godが命をくれたから命を取り去るのもGodの決める

ことだという考え」から離脱するには、あえてSuicideと、自分が決めるのだと、Godに

挑戦した表現だと思います。

 

Suicideという言葉に込められた想いは日本人には想像しにくいところだと思います。

 

日本人にとっては、人間は自然の一部であり、他の生物と共生し

同じように生きそして死んでいくという考えがDNAになっています。

従って、自分で死を決めることは、欧米人ほどには抵抗がない?

 

その辺が彼らには新鮮な考えに思えるのかもしれないと想像しました。

 

逆に言えば、彼等には乗り越える壁が、我々日本人には

想像を絶する程の決意が必要なのかもしれません。

宗教の影響がやはり大きいのだと思いました。

 

「Physician's assisted suicide」など切腹に介錯人が付くのと

全く同じVersionではありませんか!と、松尾さん。

日本人にとっては特別のNew Conceptじゃないかもしれません。

 

問題は今の日本人がそれを忘れている?ということです。

松尾さんは「これもスピーチに入れておけばよかった」と、

デイグニタスを見学してから、思われたそうです。

 

松尾さんは、柔道の達人。

講道館4段の有段者です。

ここはサムライなのです。

 

欧州は、安楽死まで認められている国がある位ですから

自己決定権が確立しているものとばかり思っていました。

しかしそんな単純な思想ではないことを今回知りました。

 

そして家族や仲間の気持ちという問題も、日本とよく似て

いることに気がつきました。

根源的なことろでは、本質的な差は想像したほどではない。

 

上手く表現できませんが、以上が私の感想です。

この辺の事情に詳しい方がおられましたら教えてください。

今日は、みなさま方に逆に、情報を頂きたくお願いします。