《0083》 胃ろうから逃げ回ってきた私 [未分類]

私は内視鏡の専門医です。
勤務医時代は、一日中、内視鏡生活でした。

しかし、「胃ろう」関連内視鏡だけは、後輩に任せて逃げ回っていました。
自分がイヤなことは人にやりたくない、からです。
この基本的スタンスは現在も変わりません。

しかしそんなことでは現代の在宅医としてはやっていけないので、少しは関わります。
「一生、胃ろうと無縁の生活を送ろう」と思っていましたが、とても無理でした。
「一生、メールやパソコンと無縁で逃げ切ろう」と思っていたのと、似ています。
こうして毎日パソコンを打つように、毎日胃ろうの相手をする生活になりました。

「自分が認知症の終末期になったら、胃ろうを入れてもらいたいですか?」
と、医療者に訊いてみたら、希望者はゼロでした。
「では、自分の親ならどうですか?」と質問を変えると、少し手が上がりました。

「胃ろうは、本当に延命処置なのか?」という議論があります。
延命処置ではなく、「お世話(ケア)の一つだ」という主張もあります。
実際、胃ろうを入れて命が延びて喜んでいるご家族が大勢おられます。
認知症に限らず慢性病終末期への胃ろうに関する国民的議論を、もっと
行うべきでしょう。

私の周囲では、入れる人と入れない人が、半々といったところでしょうか?
入れないつもりでいても、イザそうなると「入れる」に変わる人も時々います。

病院医師が胃ろうを勧める理由は、一つは退院ないし転院のための「お守り」です。
もう一つは、「胃ろうを入れないで亡くなると、訴えられるかもしれない」からです。
これは患者さんが意識しない、日本の医療者の本音です。

「胃ろうを入れない」と医者が訴えられるかもしれない国、ニッポンと、
「胃ろうを入れる」と訴えられるかもしれない国々、欧米。
「胃ろうというものが存在しない」、その他大勢の国々。
普段から、「ニッポンの胃ろう」について考えておく時代です。