《0835》 失われた国土への悲しみ [未分類]

原発を挟んで、南側にあるいわき市の道路標識には

「南相馬まで80km」と書いてありました。

南相馬にも「いわきまで80km」と書いてありました。

 

ほぼ永遠に通行不可能な国道6号線であるのに、

何故か標識を見る限り「通行可能」と錯覚します。

無理やりに日常を装っているようにも感じました。

 

1時間で移動できた海岸線が、失われました。

迂回するのに3時間はかかる「いわきと南相馬」

この切なさは現地に行かないと分からないかも。

 

国土の一部が確かに失われました。

鉄道も道路も私が生きている間は復旧しません。

そう、ここには「復興」という言葉すら無いのです。

 

そんな当たり前のことをわざわざ書いて申しわけありません。

しかしこのように、「地図から消える街」が存在するのです。

本当にやるせない。

 

残された家家の住人は、どんな想いでどこで暮らしているのか。

いわき市で自宅が流された隣人たちの行方は今でも

全く分からない、と嘆いておられました。

 

海岸線に出てみました。

これ以上、入ることができないポイントで時間を過ごしました。

波の音と潮の匂いと瓦礫のかけらに、耳と目をこらしました。

 

あの断崖絶壁の向うに福島原発が見えるような気がしました。

原発議論も大切ですが、いまここで何が起こっているかを

正確に知ることも大切だと思い直しました。

 

避難された方々のその後がとても気になります。

賠償されるとはいえ、ストレスは計り知れない。

当事者しか分からない苦労があると想像します。

 

避難すれば、今後の健康被害は防げるでしょう。

ホールボデイカウンターでの経過観察が必要ですが、

今後新たな健康被害は出ないだろうと私は思います。

 

しかし、絶対にないか?

そう聞かれたら、絶対にないと言える人間は存在しません。

一抹の未知の不安と対峙するというストレスが残るのです。

 

相馬野馬追いの裏に、どこか、犠牲者への追悼と

「消えない非日常」との葛藤を見たような気がしました。

賑やかで盛大でしたが、とても手放しでは喜べなかった。

 

昨年は、今年のために、南相馬の馬たちも避難させたと。

DNAを心配するのは、人間も馬も同じです。

今年はその馬たちも戻ってきていました。

 

とりあえず、ホッとはしました。

 

しかし失われた国土は、返ってきません。

私たちはそこから何をどう学ぶべきなのか、

あらためて問われているような気がしました。

(続く)