《0866》 余命予測 [未分類]

拙書の帯に「自分の最期は自分で決める」とあります。

人生最期の生き方は自分で決めて欲しい、という願い。

実は、当たり前のようで当たり前ではありません。

 

どれだけ生きるか、よく分からないからです。

余命という言葉がありますが、予測は難しい。

さらにその予測は、人によって感受性が全く違うのです。

 

最近、超高齢で病院や施設でいわゆる「大往生」された

患者さんのご家族の文句を聞く機会が続きました。

亡くなってからかなり時間がたっても恨みは消えません。

 

「親はあと10年は生きられたはずだ」と恨み節をいう親の

年齢は、95歳。

それだけ生きれば大往生だと思うのは、医療者の勝手?

 

「痰をちゃんと吸引してもらえたらあと1週間は生きられた」

と悔しがるのは、97歳で亡くなった方の子供さん。

3年経っても、親の死がまだ諦めきれないようです。

 

老衰や大往生という言葉が溢れている昨今です。

どう考えても満足死と思える最期にも、不満足なご家族たち。

様々な、受け取り方があるものだと勉強させて頂いています。

 

100歳近くになると、何が起こっても仕方がありません。

寝たきりの100歳の余命を聞かれたので1年位と答えました。

すると、御家族は激しく怒りました。

 

「10年寝たきりでも元気だから、あと10年は大丈夫なはず」

ひっくり返りそうになりましたが、これ位の差があるのが現実。

余命予測、余命告知には、1時間位の時間が必要だと感じます。

 

「末期」という言葉も、難しい言葉。

広義の末期と狭義の末期の定義があります。

分かったような分からない言葉。

 

私は今生きている人間はすべて末期だと思っています。

生まれた瞬間に、余命80年の末期状態が確定します。

ですから今生きていることが丸儲けだと感じています。

 

PS)

暑かった8月も今日で終わりです。

AKBの敦ちゃんも卒業しました。

明日からは海水浴場も少し静かになるのでしょうか。

 

夏の終わりの寂しさが一番好きです。

祭りのあとの虚しさが明日の糧になります。

明日から、また新しい月を頑張りましょう。