《0089》 救急車を呼ぶということ [未分類]

「昨日また救急車で運ばれた」と、どこか自慢げに話す患者さんがいます。
「運ばれた」のではなく、「自分で電話して運ぶように頼んだ」はずですが……。
この患者さんは、何度も何度も、救急車で「運ばれて」います。

また「救急車で行ったのに入院もさせてくれなかった」という台詞もよく耳にします。
医者の立場から言うと、歩いて来ようが、救急車で来ようが、入院の是非とは
何の関係もありません。

タクシー代わりに救急車を呼ぶ人が、現実におられます。
「こんなことをしていては、いつか救急車が有料になるかもしれませんよ」
と言いたいです。

救急車はありがたいものですが、使い方を間違うと大変です。
老衰の方のご家族から、「餅を喉に詰まらせて息をしていない」と電話がありました。
私が駆けつけて蘇生処置をするとしても10分はかかるので、まず助からないでしょう。

「救急車を呼ぶということは、蘇生・延命処置を依頼することですが、呼びますか?」。
ご家族は、呼ぶことを選択されました。

救急病院の救急医から私に、再確認の電話が入りました。
「100歳に近い人に本当に延命処置をしろというのですね」と。
私は、「家族がそれを望んでいますから」と答えました。

数日後、ご家族から電話が入りました。
「人工呼吸器を外してほしい。救急車を呼んだことを後悔している」と。
私は、「あなたが選んだ道ですから、よーく、病院主治医と相談してください」と答えました。

普段から、このような場面を想定して「救急車を呼ばない」約束をしていました。
ところが、いざそうなると、慌ててしまい、「救急車を呼ぶ」方を選択されました。

人間の気持ちは常に揺れるもので、我々はその揺らぎにどこまでも寄り添う立場です。
在宅療養を続けておられるご家族には、普段から考えてほしいことは、これです。
イザという時、救急車を呼ぶのか、呼ばないのか。
そして「呼ぶ」という選択は「あらゆる延命処置を希望する」という意思表示であることを。