今日で震災から1年7カ月目です。
半端な数字かもしれません。
しかし多くの犠牲者の月命日です。
忘れてはいませんよ、というメッセージをお届けします。
離れていてもできることを、少しでもやっていきたい。
支援の本番はこれから。今日から始めてもいいのです。
以下は、親しい知人の宮城県レポート第2弾です。
どこかの情報誌に書かれている情報ばかりだと思います。
しかしこの方は、今回初めて被災地を訪問されたのです。
大阪のおばちゃん(失礼!)が、メールを届けてくれます。
真っさらな目で見た光景と心象風景を
あらためてかみしてみたいと思い、ご紹介いたします。
私は今日は神戸で開催されている消化器病関連の学会です。
日進月歩の医学を、常に勉強しておこうと心がけています。
宮城県にも想いを馳せながら、お勉強に励みます。
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【レポートNO4 気仙沼市・大島でのボランティア】
牡蠣養殖の筏の重りにする砂利袋作り、草むしりをしました。
一台の筏に1袋50キロの砂利袋180~210個をくくりつけ、
潮の流れに負けないようにします。重労働でした。
漁船に乗せていただき、筏についた牡蠣を見に行きました。
約6割、復旧したそうです。地元の方から津波当日から
丸5日燃えつづけた火事の様子を伺いました。
押し寄せる炎に、一時は島を捨てる覚悟をしたそうです。
【レポートNO5 復幸マルシェ】
今日は鹿折地区のイベントで秋刀魚焼きのボランティアをしています。
子供達が描いたTシャツが風になびき、
秋刀魚・ホタテ・牡蠣を焼く匂いが漂っています。
旨い、上手い、とにかく。
気仙沼は元気だ。
【レポートNO6 合言葉】
被害の一番大きかった陸前高田を視察しました。
地震の避難場所に逃げた人々が約1時間後に
押し寄せた津波にのまれ命を落としました。
市役所の無線が壊れ、警報を出す術を失ってしまったことも
被害を大きくしたそうです。
地震に津波はセットで来るということを忘れていたとか・・・。
「地震が起きたらとにかく山へ逃げろ」を日本中の合言葉にしたい<、と
説明してくださったおじちゃんの言葉が説得力がありました。
600戸の家がすべて流され、一面、広大な野原と化していました。
こみあげるものがありました。