《0097》 死の壁 [未分類]

末期がんの方が亡くなるまでの時間は、一つの目安があります。
目に見えて痩せて、食が細くなってきたら、週単位。
ウトウト眠る時間が多く、ほとんど食べられなくなったら、日単位。

この「単位」という言葉は、在宅医療には、しっくりきます。
「何カ月」とか「何日」より、含みがあって使いやすい言葉です。
第一、 その程度の精度でしか予測できません。

よく外れる余命予測ですが、何とか自信を持って言えるのは、日単位ぐらいから。
寝てばかりいて、何も食べないのですから、素人から見てもそんなもんでしょう。

亡くなる前日か、半日前辺りになると、「もだえる」ような時期があります。
強烈なダルさと衣服を全部脱いだり、とにかく身の置き所がない感じになります。
私は、勝手に「死の壁」と呼んでいます。

こうした異常行動は、医学的には「せん妄」という言葉で説明されます。
しかし、身近にいる人には、「もだえる」という表現のほうが的確に思えます。
教科書にはお薬で、「もだえ」を抑えたり、眠らせる方法が書かれています。
ご家族が、「先生、注射で楽にしてやってください」と頼むのは、この時期でしょう。

私は「このもだえは、半日か1日しか続きません。
この壁を乗り越えないと死ねないので少しだけ安定剤を使って様子を見ましょう。
やがて収まりますから」と、分かったような分からないような説明をします。

実際、1日くらいで収まってきます。
「この死の壁を超えないと死ねないのですよ。死ぬのも大変なんですよ」
なんて、ますます怪しい説明をします。

やがて、意識レベルが低下して、呼びかけてもかすかに反応が見られる程度になります。
喉がゴロゴロしだすと、「死前喘鳴ですよ」と、またまたもっともらしい解説をします。
これを収めるお薬を、口の中に垂らすこともあります。

そして、ついに顎を振る呼吸、下顎呼吸に変わってきます。
いよいよ臨終間近ですから、身内全員に連絡してください、など、実演入りで説明します。
そして、慌てないこと。

携帯電話にすぐに出れないこともあること、そして、駆けつけた遠くの親戚が叫んでも
救急車を呼ばないことなどを、一つひとつ説明します。
昔は、自分の方が慌てていましたが、今では冷静に説明できるようになりました。

「死の壁」の正体は、正直、よく分かりません。
末期がんに限らず、老衰も含めゆっくりと終末期を迎える時に、必ず見る「壁」です。
人間は、狭い産道を通って生まれる時と亡くなる時は、ちょっとだけ苦しいものだと、
勝手に解釈しています。