《0996》 近藤理論の反論すべき点 [未分類]

今日は、近藤理論への反論を述べてみます。

1 早期発見・早期治療はあるし、早期がんもある。

ここだけは、どうしても譲れない点です。
「早期発見・早期治療」はあります。
近藤先生は、それは「がんもどき」だと言われます。

私自身も早期がんを内視鏡治療や外科手術して、本当に
人の役に立っているのかな?と思った時期もありました。
しかし多くのがんを診てきて、早期治療はやはり有効です。

早期胃がんを本人の強い希望で放置していたら、進行がんに
成長し、肝臓に沢山転移して、数年後に亡くなられました。
もし発見した時点で手術していたら、亡くなっていなかったでしょう。

著書の中で「早期胃がんはあまり大きくならないのが専門家の常識」
だと書いておられますが、私の経験からは、そうは思いません。
やはり徐々に大きくなり、進行していく事例を何例も見てきました。

だから「がん検診を必ず受けないさい」と、私は言いません。
がん検診の有効性とは別に、早期発見・早期治療例は確かに
存在するし、当事者が大きな利益を得ているのは、事実です。

私は、がん検診も宝くじや競馬と同じだと思っています。
不要な不安に悩まされるひとも多く見てきたからです。
人によっては受けないほうがいい人がたくさんいます。

すなわち、受ける自由、受けない自由があると思います。
がんノイローゼになる位なら受けたほうがいいでしょう。
受けて不安が解消するのならば、受けたほうがいいです。

検査自体が不安なひとは、拒否すればいいでしょう。
受ける権利も、受けない権利もあると考えます。
がんの専門家には、怒られるかもしれませんが。

がんセンターなどは受診率向上を謳っていますが、
日本人には、少々難しい目標設定かもしれません。
がんの告知さえ充分に浸透していない国民性です。

2 がん検診を受けたいという権利を奪ってはいけない

がん検診は無効である、という意見も乱暴だと思います。
有効性が証明されていないがん検診も、確かにあります。
集団検診として無効でも、個人には意味がある場合もあるのでは。

医師は、がん検診を受けたいという権利を奪ってはいけない。
すなわち、無症状でもがん検診を受けるという個人の権利を
奪ってはいけないと思います。

3 あくまで極論として聞くべし

近藤先生のモチベーションは、“怒り”のように感じます。
不必要な検査や治療が行われている現実への疑問でしょう。
それは私も同じです。

特に過剰な抗がん剤治療への懐疑はまったく同じです。
がんもどき理論は、半分は、当たっていると思います。
しかし例外も沢山存在することを知っておくべきです。

近藤先生の主張は、あくまで極論として聞いておくべきでしょう。
分かり易く伝えるために、あのような表題になるのかと思います。
心情的には理解できるのですが、何点かは強く反論しておきたい。

現状を変えるに大切なことは、混乱を避けることだと思います。
不要なパニックや混乱や不安を避けることも医療では大切です。
そのためには極論として聞いたほうがいい人もたくさんいます。

私は、現状と近藤理論の中間を行きたい人間です。
抗がん剤なら、試してみて効かなかったりイヤなら止めればいい。
いいとこ取りを試みて、ダメそうなら引き揚げるのもいいじゃない。

抗がん剤との付き合い方は、生き方の問題であると思います。
単純な医療否定では、患者さんの利益を奪う場合もあります。
医学という科学のいいとこ取りを目指してはどうでしょうか。

抗がん剤は日進月歩であり、「効く抗がん剤」も存在します。
ハーセプチンまでも否定するなら、医学そのものの否定です。
あのイレッサにしても、もの凄く効いた知り合いがいました。

その方は、がん患者会の代表でした。
「余命2カ月と言われて7年経ちますがこのように元気です!」
元旦のNHKテレビの討論会で、そう言って笑わせていました。

イレッサが著効したのです。
宝くじなら1億円当選、競馬なら万馬券だったのです。
効かない場合もありますが、効く場合もたしかにあるのです。

大切なことは、やってみてダメなら止められるということ。
しかし、なかなか止められない、止めるタイミングが分からない
というのが、「抗がん剤問題」の本質ではないでしょうか。

実は、胃ろうに関しても同じようなことが言えます。